前提: 配信側は勝手に音量を揃える
まず、多くの人の直感に反する事実から。Spotify の公式ドキュメントによると、Spotify は再生時に全トラックを -14 dB LUFS(ITU 1770 準拠)へ揃えます(Premium ユーザーは -11 / -14 / -19 の 3 段階を選択可能)。つまり、市販曲より大きく聞こえるように限界までコンプレッサーで潰しても、再生時にはそのぶん音量を下げられるだけです。残るのは音圧競争の副作用——潰れたダイナミクスと歪み——のほうです。
逆に小さすぎるマスターにも実害があります。同ドキュメントによると、Spotify は静かなトラックを持ち上げる際の歪み・クリッピング防止としてリミッター(-1 dB で作動、アタック 5 ms / ディケイ 100 ms)を適用します。あなたの曲が他人のリミッターで整形されるより、自分で意図を持って仕上げた方がいい——これがマスタリングを自分の工程に持つ理由です。
チェック 1: 音圧 — 狙いは「-14 LUFS 前後のバランスの良いマスター」
Spotify 自身の推奨は明快で、「マスターのラウドネスは -14 dB インテグレーテッド LUFS を目標に、トゥルーピークは最大 -1 dB TP 以下に」。それより大きくする場合は「トゥルーピークを -2 dB 以下に保って歪みを避ける」としています(出典は同上)。ジャンルによってはもう少し大きく仕上げる慣行もありますが、少なくとも「大きいほど有利」が配信では成り立たないことは、プラットフォーム自身が明言しているわけです。
Suno から書き出した直後のファイルは、経験上これより数 dB 小さいことが多く、これが「配信に乗せたら市販曲より明らかに小さい」の正体です(背景はSuno/Udio の曲が小さい問題で解説しました)。ここはメーターで測って直す領域で、勘で触る領域ではありません。
チェック 2: トゥルーピーク — 変換で歪む前に余裕を作る
配信プラットフォームはあなたのファイルをそのまま流しません。AAC や Ogg などのロッシー形式に変換して配信します。0 dBFS ぎりぎりまで詰まったマスターは、この変換でサンプル間ピークが天井を超え、あなたが一度も聴いていない歪みが加わることがあります。Spotify が「ロッシー形式には -1 dB TP 以下が最適」と推奨しているのはこのためです。チェック方法は単純で、トゥルーピーク対応のメーターで最終ファイルを測り、超えていればマスタリング段でピークコントロールをかけ直すこと。ここは耳では気づきにくく、メーターだけが頼りになる項目です。
チェック 3: フォーマット — ロッシーからロッシーへの変換を避ける
納品ファイルの原則は 1 つ、ロッシー変換の回数を増やさないこと。Spotify は FLAC または WAV(44.1 kHz 以上、マスターそのままのビット深度)での納品を推奨し、「納品前に音質を変える処理をしないでほしい。形式変換はこちらでやる」と明記しています。DistroKid は WAV / FLAC / AIFF / MP3 / M4A / WMA を受け付け、WAV は「16-bit / 44.1 kHz が典型」としています。
Suno 側の事情はこうです。WAV ダウンロードは Pro / Premier 限定(Web サイト経由)で、無料プランのダウンロードは MP3。しかも公式 FAQ によると無料プランのダウンロードは個人・非商用利用のみです。つまり配信リリースを目指す時点で、実務上は「WAV で 1 回ダウンロード → 以降の加工はすべてローカルの WAV で完結 → 最終マスターを WAV/FLAC のまま納品」が最短経路になります。MP3 しか手元にない場合でも音圧・ピークの調整は有効ですが、MP3 に焼き込まれた圧縮アーティファクトは消えません——「WAV に変換」しても音質は戻らない点にだけ注意してください。
チェック 4: 耳で検品 — メーターが見ない場所を聴く
数値が揃ったら、最後は耳です。曲頭・曲末の無音と フェードの切れ際、音量を揃えた状態での元音源との A/B、小さいスピーカーやスマホでの試聴。この「メーター不要の検品」は耳だけでできる 5 つのチェックに手順をまとめてあります。ここで見つかる違和感がマスタリング側の問題ならローカルでやり直せば無料です。生成側の問題——埋もれたボーカル、濁ったアレンジ——なら、どんな後処理でも直りません。その境界線はマスタリングで変わること・変わらないことを判定表として使ってください。
Tonekai の持ち場
私たちは macOS 用のマスタリングアプリ「Tonekai」を作っています。このチェックリストの 1〜3 番——LUFS を測って音圧を整え、トーンバランスを調整し、トゥルーピークを安全域に収める——が Tonekai の持ち場です。ダウンロードした WAV をドロップすると、オンデバイスの AI が解析・処理し、音量を揃えた A/B で元音源と聴き比べられます。処理は完全ローカルで、未発表曲がどこかのサーバーにアップロードされることはありません。無料で試せて、Pro は買い切りの Unlock(サブスク不要)。リリースは 1 曲では終わらないので、2 曲目からも追加費用がかからないことは書き添えておきます。
Mac App Store で Tonekai をダウンロード(無料で試せます)
よくある質問
-14 LUFS ぴったりに合わせるべき? 「ぴったり」を狙う必要はありません。ノーマライゼーションがある以上、数値の追い込みより「そのラウドネスで聴いてバランスが良いこと」と「ピークに余裕があること」の方が効きます。Spotify の推奨(-14 LUFS / -1 dB TP)は良い出発点ですが、最終判断は音量を揃えた A/B でしてください。
プラットフォームごとに別のマスターを作るべき? 基準値は各社で多少異なりますが、ノーマライゼーションが前提の現在、1 本の「バランスが良く、ピークに余裕のあるマスター」を全プラットフォームに納品するのが実務的です。Spotify も「マスターをそのまま納品してほしい」と明記しています。
マスタリングすれば配信で有利になる? 再生回数が増える、という意味では有利になりません。マスタリングが解決するのは「並べて聴いたときに聴き劣りしない」「変換で歪まない」という品質の問題です。それ以上の効果を謳うツールには(私たちのものを含め)警戒してください。
まとめ
配信リリース前の音のチェックは 4 つ。音圧(-14 LUFS 前後を測って狙う)、トゥルーピーク(-1 dB TP 以下)、フォーマット(WAV/FLAC のまま、ロッシー変換を挟まない)、耳での検品(A/B と実環境試聴)。どれも特別な機材は要らず、ダウンロード済みのファイルに対して Mac の上で完結します。1 ダウンロードを使って取り出した曲です——最後の 10% を整えて、胸を張って世に出しましょう。